2018年09月09日

故 大岩正和儀「お別れの会」

※ 本記事は、故人ご家族のご了解を頂いた上、ご本人にメッセージが届けばと思い、投稿させて頂きました。

今年7月1日、日本気球連盟の名誉会長であり、当チームのメンバーでもある 大岩正和さんが永眠されました。
故人の「お別れの会」が9月4日、東京都内で開かれました。

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当日午後開かれた「お別れの会」は、熱気球活動で関わりがあった皆さんが集まった会。

黙祷の後、思い出のスライドショーの上映に続き、日本気球連盟 理事長 太田耕治さん、佐賀バルーンフェスタ組織委員会 会長 水町博史さんら5人からお別れの言葉がありました。
その後、弔電のご披露、喪主の大岩翔太さんから立派な挨拶と続き、最後に、参列者全員から白カーネーションの献花をもって終了しました。

その後、別室にて「大岩さんを偲ぶ会」が開かれました。

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会場内にありました、大岩翔太さんが記した参列者へのメッセージも心動かされました。
参列できなかった気球乗りのみなさまに改めてご紹介させていただければと思います。


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「その人生、気球と共にあり」
〜大空に在りし日の姿を思い描いて


平成30年7月1日、父 大岩 正和 は、満77歳にて永眠いたしました。
「我が人生に悔いはない」とは、生前の父の台詞です。
その言葉通り、仕事も遊びも一生懸命楽しんでまいりました。
闘病中も大空に飛び立ったほどの大の気球好きでした。
何事にも全力で取り組む姿を尊敬すると同時に、
気球の素晴らしさを教えてくれたことに感謝しています。
家族で同じ趣味を持ち、共に楽しめたことは何よりの幸せでした。
父にとっては趣味の枠をこえた生き甲斐そのものでした。
慶應義塾大学の探検部にて熱気球を製作したのをきっかけに
はじまった父の気球人生。国内はもとより世界中の空を飛んできました。
大自然の中、楽しいことばかりではなく、涙あり苦労あり、
時には運に見放されることもあるのが気球です。
父がこれまで数々の苦楽を乗り越え、日本気球連盟名誉会長として
努めさせて頂けたのは、ひとえに皆さまのお力添えのおかげでございます。
父は気球を通して生きる上で大切なことをたくさん学び、
そして多くのご縁に恵まれたと言っておりました。
お世話になった方々へ、お礼も言えぬまま旅立った父に代わり、
深く感謝を申し上げます。


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本投稿の最後に、チームの川副さんから大岩さんへのメッセージ。

先日お亡くなりになられた、フライワンメンバーで日本気球連盟名誉会長大岩正和氏の「お別れの会」に行ってきました。

私が気球活動を始めた1981年の2回目のフライト、その指導パイロット欄には大岩さんのサインがあります。
イタリア製の黄色のマリンブーツを履いた大岩さんのかっこいい姿が今でも目に焼き付いています。
私にとって、一緒にフライトする時はいまだに緊張してしまう唯一無二の人でした。

まだクイックリリースの無かった時代の北海道・上士幌の大会で、
強風の中、気球をつないでいたロープをナイフでスパッと切って飛んで行った大岩さん、戻って来た時は泥だらけでしたね。

佐賀でトレーニングを受けた時、草地と思っていたら青々としたクリークに突っ込みましたね。全く動じず平気な顔して自分の荷物を陸に投げ上げ、バスケットの端に座ってそのまま、バーナーを炊きながら岸まで行きましたね。

「フライワンに入れてくれよ」と言われていたのを冗談だと思って過ごしていたら、「俺はほんとに入りたいんだよ!」と江戸弁で言われ、本気だったんだ…と、嬉しい想いと同時に恐縮したものです。

こうして振り返ると、大岩さんとの思い出が走馬灯のように思い出されます。仕事も気球も情熱とパワーで取り組む大岩さんの姿は憧れであり人生のお手本でした。

もう会えないのかと思うと本当に寂しくなります。
もう一度一緒に飛びたい。

川副 薫

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1997年、「第14回熱気球日本選手権」(北海道・上士幌)にて、日本気球連盟理事長(当時)の "憧れの" 大岩正和さんから表彰を受ける川副薫さん
posted by BT FLY ONE at 07:56| 佐賀 ☔| Comment(0) | チーム活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする